ギリシャ危機があぶり出すEUの不協和音

春日 尚雄

この原稿執筆時では、経済危機にあえぐギリシャへの金融支援がようやくまとまり、ユーロ圏からの支援としては第3次となる、820億ユーロ(約11兆円)が融資されることが決定したとされる。噂されていたGrexit(ギリシャのユーロ離脱)を避けるためのぎりぎりの選択であったと思われる。しかしこれで5年ごしのギリシャ問題に一件落着となるかは、甚だ疑問があるだろう。ギリシャの公的債務は3,100億ユーロ(約42兆円)であり、今回の支援が実施されるまでのつなぎ資金の問題なども残っており予断は許さない。

意外かも知れないが、ギリシャは単年度の財政均衡をほぼ達成している。これまでの財政緊縮政策で財政赤字は大幅に減少したが、厳しい緊縮策のため2009年から2014年にかけてGDPが25%減少した。その結果、政府債務残高のGDP比率は大幅に悪化するという皮肉な結果になっている。そうなると元本削減(ヘアカット)という手段しか残されていないように思われるが、これは原則的にはEU条約など法律の縛りがあり難しいとされてきた。

EU主要国の中でギリシャ支援に対して最も厳しい立場をとっているのはドイツで、ギリシャはさらなる財政緊縮政策をとるべきであると主張してきた。ドイツ=勤勉、ギリシャ=怠惰、というステレオタイプのイメージがあるのも事実であろう。しかしここにきて「ドイツ責任論」が、日本を含む世界各国で浮上してきている。今やドイツは欧州の中でも圧倒的な経済力を誇り、独り勝ちと言っても良い状況にある。イギリスメディアなどによってドイツは第4帝国を築いた、と言われる所以でもある。

本来、経済学的には国際収支の自動調整機能によって為替レートは変化し、一国の輸出競争力は必ずしも強いまま、弱いままにはならない。しかし2002年ユーロ圏が実施した共通通貨制度によって、事実上各国の金融政策は無効化し欧州中央銀行(ECB)にその権限を移譲することになった。アジアにおける唯一の制度的な共同体であるASEANは共通通貨制度の採用を検討しておらず、ユーロとEUは壮大な実験であるとも考えられてきた。当初安定していたユーロであったが、リーマンショックと前後して2008年頃から財政基盤の弱い南ヨーロッパ国など、いわゆるPIIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン、アイルランド)が問題視されるようになり、2010年のソブリン危機につながる。その過程でユーロの為替レートは大きく下がり、「弱いユーロ」の利益を最も享受したのが工業国ドイツということである。

ギリシャでは2015年1月の総選挙で急進左派連合が勝利し、債務問題でEUとの対決姿勢を強めた。チプラス首相がドイツに対して戦時賠償を持ち出した際には、日本人の感覚からすれば馬鹿げたことに思えたが、実際ドイツは1950年代に戦時債務の60%を免除されたという歴史をもつ。その後、欧州共同体、欧州連合と進むことによって、地域統合はアジアとは比較にならないレベルに達していることから、本来ギリシャ危機はEUの「一地方」問題として解決されるべきと考える向きもあるだろう。しかし実際には国家的アイデンティティの強さから、妥協を拒む姿勢が各国それぞれの形で噴出している。アジアにおいても数年間まで「東アジア共同体」が議論される機運があったが、先行している欧州においてもこうした問題に方向感がなく、七転八倒している状況を良く見ておく必要があるだろう。

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