2018総選挙で見えてきたマレーシアにおけるパラダイム・シフト

池下 譲治

2018年5月9日、マレーシアが揺れた。1957年に英国から独立して以来、初の政権交代が起こったためである。これまでも予兆はあったが大きな壁に阻まれてきた。特に、前回(2013年)の総選挙では、野党連合が初めて得票率で過半数を獲得したにも拘らず、議席数では逆に連立与党の国民戦線(BN)が6割を占めるという摩訶不思議な現象が生じた。からくりの因(もと)は与党に有利な選挙区割り(ゲリマンダー)の存在である。このため、1票の格差は最大で1対10に達し多くの死票が生まれる要因となった。さらに、なりすまし投票疑惑をはじめ、選挙そのものの信頼性にも疑問が生じていた。こうしたことから、選挙前に今回の政権交代を予想する専門家はほぼ皆無に等しかった。一体、何が起こったのか。
もっとも重要な事実は、今回、マレーシア国民が民族の壁を乗り越え、よりよい国をつくるという共通の目的の下に投票所に向かったことであろう。投票のため炎天下、6時間以上並んだ人や投票用紙が前日に届いたため急きょ飛行機で帰国した在外有権者など、今次選挙へのマレーシア人の思いを伝えるエピソードは枚挙に暇ない。詳細は省くが、裏を返せば、それほど、ナジブ前首相の汚職疑惑と強権的な政権運営に対する国民の不信感や怒りが臨界点に達していたということであろう。トランスペアランシー・インターナショナルの「汚職認識指数(CCPI)」でもマレーシアは世界第62位(2017年)にまで下落するなど年々悪化の様相を呈していた。
さらに、忘れてならないのは選挙管理委員会の頑張りである。民主主義がその機能を発揮するためには選管が政府の圧力や干渉に屈せず独立を維持することが如何に大切であるかを証明してみせてくれた。
ところで、前回の総選挙では中国系の票が大量に野党に流れる「中国人の津波」が起こったが、その結果、連立与党内における民族政党間のバランス・オブ・パワーが崩れ、マレー系・中国系の関係に政治的な亀裂が入る事態となった。もしも、今回の選挙でエスニック問題が争点となっていたならば、むしろマレー系を主な支持母体とするBNの優位は揺るがなかったであろう。しかし、今回の争点はそこではなかった。それなら、とナジブ氏は「反フェイクニュース法」を強行採決し、さらに、マハティール氏が代表を務める野党政党の活動停止を命じるなど抑圧に乗り出したが、これには米国国務省が非民主的な強権発動であるとして異例の非難声明を出す事態となった。
当初、野党の政権運営能力は未知数であり、マレー系にしてみれば、中国系が勢力を増すことへの懸念もあったが、マハティール氏の登場がすべてを変えた。同氏が希望同盟(PH)を率いて奇跡の政権交代を成し遂げたことは、マレーシアの「Brexit」現象とかマレーシアの「トランプ」現象といった表現がその驚きをよく表している。
今回の総選挙の結果、マレーシアに2つの「希望」の光が点灯したと言えるのではないだろうか。ひとつは、「民主化」の進展。そして、もうひとつはマハティール首相が1991年に2020年構想で打ち出した「バンサ・マレーシア」(統合されたマレーシア国民)の構築への道標(みちしるべ)となるものである。
国家の運営に関しても、二大政党化とは別のパラダイム・シフトが起こっているものと思われる。これまでの連立与党(BN)の中核を成してきたUMNO、MCA、MICはそれぞれマレー人、華人、インド人のみの党員で構成されている政党であった。つまり、各民族の利益代表者からなる政党の集合体といえる。一方、新たな連立与党(PH)の中核を成す人民正義党(PKR)や民主行動党(DAP)は夫々マレー系と中国系を主たる支持基盤とするものの、どの民族も党員加入することができる。つまり、すべてのマレーシア人の集合体と言っても過言ではない。こうした点を踏まえると、マレーシアの国家運営は新たな時代に入ったと言えるのではないだろうか。新たなパラダイムの下で民族の融和が進むのか、将又、再び分裂してしまうのか、注意深く見守っていく必要がある。
最後に、今回の「マハティール&マレーシア津波」は周辺諸国にも影響を及ぼす可能性があることを指摘しておきたい。現在、世界のいたるところで「ワシントン・コンセンサス」の後退に伴う民主主義のバックラッシュが起こっている。代わって、政治体制の変化を望まない途上国などを中心に、「北京コンセンサス」に共感し、中国の「一帯一路構想」を取り入れたメガ・プロジェクトの開発が進んでいる。しかし、今回、マレーシアでは民主化が進み、マハティール首相は過度の中国依存と北京コンセンサスが内包する危うさを訴え、関連するメガ・プロジェクトの見直しを決めた。現在、タイやミャンマーでは北京コンセンサスによって民主化が後退し、再び、国家統制が進みつつある。さらにインドネシアやラオスでは、「一帯一路構想」における工期の遅れや「債務の罠」に陥る可能性も指摘されている。マハティール首相はアジア通貨危機に際してIMFと決別し、独自のやり方で「ワシントン・コンセンサスを打ち破った男」として知られるが、今度は「北京コンセンサスに初めて公然とチャレンジした男」として知られることになるかもしれない。

 

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