「自由な貿易」から「公正な貿易」へ

池下 譲治

 コロナ後の世界経済は、ワシントンコンセンサスによるグローバリゼーションが推進される中で顕在化した「富の偏在」や「格差の拡大」の是正に向けた制度改革とともに、「自由な貿易」から「公正な貿易」へとパラダイムシフトが進む可能性がある。
 そう思う理由は、いくつかある。まず、世界経済全体で見た所得再分配上の不平等があまりにも拡大している点だ。1980年と2016年の世界の家計所得の伸びを比較した調査によると、この間に増加した世界のトップ1%の所得は下位50%の2倍以上に及ぶ。また、別の調査によれば、世界でもっとも裕福な8人が保有する資産は、下位半分が保有する資産とほぼ同じだ。そして、そのうち6人が暮らす米国では、240万人に当たるトップ1%の富裕層が、数ではその50倍の労働者階級全体の倍の所得を手にするに至っている。最後の米国での調査においては、過去40年間で両グループへの富の配分は逆転したことも示されている。しかも、この間、労働者の実質賃金は殆ど変わっていないのだ。こうした事実は、自由化や規制緩和、さらには、富裕層や大企業への減税によって、富める者が富めば、いずれ、貧しい者にも富が浸透する、とした「トリクルダウン効果」はいつまで待っても現れないことを如実に示すこととなり、かつてないほどに人々の間に不平等感が募っているのである。
 格差は国家間レベルでも広がっている。経済理論上は、自由貿易は競争力が弱い国においても、その国の中で比較優位性の高い分野に特化することで、社会的余剰(豊かさ)を増やすことができる、はずであった。しかし、現実には、グローバリゼーションの結果、急速に経済発展したのは、中国やASEANなどごく一部の新興・途上国に過ぎない。それは、貿易のメリットを途上国にもたらすには、市場アクセスだけでは不十分なためである。たとえば、EUでは、後発途上国(LDC)に対して、武器以外のすべての製品の輸入関税を免除する優遇制度(EBA)を採用しているが、EBA対象国であるタンザニアからEUへの輸出は増えていない。これは、後発途上国の輸出機会を活かすには、外資の導入などを通じた、生産能力の拡大や技術支援が必要なためである。この点において、アフリカにおける中国の一帯一路構想は、一定程度評価できる。しかし、「債務の罠」の問題を抜きにしても、アフリカへの援助に際して政治的な制約を課さない中国の姿勢には、アフリカ側に好意的な印象を与える一方で、アフリカ域内の汚職や人権侵害などを助長する恐れがあるとして危惧する声が上がっているのも事実である。
 また、昨年、『ネイチャー・コミュニケーションズ(Nature Communications)』に掲載された論文によると、環境に与える「富」の影響が深刻なレベルに達している。これまで、環境にもっとも大きな影響を与える要因は「消費」と「技術」だと考えられてきたが、ここ数十年で、豊かな国の消費者による「消費」が急拡大した結果、技術革新を通じて削減できるレベルを遥かに超えてしまったのである。つまり、地球上の生活に関連した温室効果ガス排出量の10%を約40億人の「世界における収入下位50%」が生み出しているのに対して、その100分の1に過ぎない4000万人の「世界でもっとも裕福な0.54%」が生み出す同排出量は14%に達しているのだ。さらに、先進国に住む多くの人が含まれる世界のトップ10%の富裕層は環境への影響のうち25~43%の責任を負っている。
 ところで、不思議なのは、際限のない「富」への執着が社会的問題を引き起こしている、という点である。なぜなら、ある一定以上の水準を超えると、所得の伸びは幸福度の高まりに寄与しなくなる、とした「イースタリンのパラドックス」が示唆するように、これまで「富」への執着は所得の増加とともに薄れていくものと思われていたからである。しかし、今、現実の世界で起こっているのは「地位消費」(positional consumption)という概念による正反対のメカニズムである。即ち、人は基本的な欲求を満たすと、社会的希少性によって少数の人しか入手できない「地位財」(positional good)を求めだすというのだ。そう考えると、米ベンチャー企業が2022年に開業予定の「宇宙ホテル」への滞在料金が、12日間で10億円であるにもかかわらず、すでに、4か月先の予約まで完売というのも決して不思議ではない。しかし、今後、先進国の人々が一斉に地位財を求めだすと、地球環境の破壊はとめどなく加速していくことが懸念される。そのため、「もっとも裕福な人々に課税すること」や「弱いエコシステムと貧しい人々に投資すること」が必要とする同論文の主張は、ロールズの「正義」の概念とも合致しており、検討に値する。
 次に、国際貿易に関して問題と思われるのは、アフリカにおける中国の「一帯一路」にみられるように、新興・途上国の中には、欧米先進国とは異なる価値観や慣習によって、開発や貿易を通じて人権侵害や環境破壊が行われている可能性があることだ。現行の国際ルールでは、たとえ、コスト削減のために人権侵害や環境汚染に加担しているとしても、それに対してペナルティを科すのは難しい。しかし、グローバリゼーションの制度的欠陥が鮮明となった今、世界経済秩序に関する新たな制度設計の構築が必要となっている。具体的には、「自由な貿易」から「公正な貿易」への変更・修正である。  では、「公正な貿易」とは何か。ダンピング関税を例に取ると、これまでは、結果としての価格の正当性がチェックされてきた。たとえば、中国のWTO加盟時に、貿易相手国は最長15年間、中国を「非市場経済」として扱うことが認められた。それによって、輸入国は中国からの輸入品に対して反ダンピング税を課すことが容易になった。コストの割高な国の生産費用を中国における生産費用として代用することができるためだ。現在、中国がすでにWTO加盟後15年を超えたことで、多くの国は中国に市場経済としての地位を与えているものの、米国とEU、そして日本は未だに認めていない。ただ、「市場経済」としての承認の遅れは、単に、貿易(覇権)戦争の悪化を招くだけとの指摘がある。そこで、これから目指す「公正な貿易」では、これまでのような、結果としての価格の正当性というよりも、そこに至る経緯が重要となってくる。換言すれば、「ソーシャルダンピング」や「エコロジカルダンピング」の概念を、国際的な貿易ルールの中に反映させるべき、ということである。実際、現在協議中の、中国とEUとの投資協定では、中国の人権問題も俎上に上がっている。また、EUは温暖化対策が不十分な国からの輸入品に価格を上乗せする「国際炭素税」を2023年までに導入する方針を打ち出している。こうした政策は輸入価格の上昇につながることから、消費者余剰(消費者の利益)を減らすとして反対意見が出ることが予想される。けれども、我々がほんの少し我慢することで、国際間の不平等や環境破壊が抑制され、世界全体の総余剰(万人の利益や満足感)は増えるのである。ならば、我慢した分だけ幸せを分かち合えると考え方を改めてはどうか。 以上

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