タイの政治混乱とASEANシフト

春日 尚雄

昨年来、タイが政治的に混乱した状況が長期化し、今年初めにはインラック政権に反対する反政府勢力が、首都バンコクの主要道路をバリケードなどで封鎖するような事態になった。筆者が2014年3月上旬に現地を訪問した際には、幸運にも道路封鎖は解除の方向に向かっていた。しかし、かつて数々あった軍事クーデターとその解決のプロセスとは違い、その出口は以前よりはるかに遠いようだ。そして先日5月7日には、「神の声」と揶揄される憲法裁判所の判決によって、人事不当介入という理由でインラック首相は失職し、失職後もコメ担保融資問題で告発される見込みとなっている。5月20日には陸軍により戒厳令が発令され、5月22日にはついに8年ぶりのクーデターに発展した。陸軍の置かれた立場も微妙であり、この先さらなる混乱、衝突も予見される。

この20数年ほどのタイの政治を見ると、(1)タクシン(元首相)政権以前、(2)タクシン政権下、(3)タクシン亡命後、の3つの時期に分けられるだろう。タクシン以前の90年代では、軍事クーデターが頻発し、軍の戦車がバンコクを威圧する状況も見られた。しかし壮年期であったプミポン国王に対する国民の敬愛と求心力は圧倒的に強く、政治的危機も最終的には国王が調停者として乗りだして来ることを誰もが予想し、また期待した。これが2001年のタクシン首相の登場によって大きく変化する。タクシンの経済政策「タクシノミクス」は、良く言えば農村振興と農村部低所得者への手厚い支援、あるいはASEANを牽引するような外交政策などであった。反面、負の部分としてはバラマキ施策と強権、汚職、縁故主義などは、従来のタイの既得権益者、エスタブリッシュメントへの大胆な挑戦と受け取られ、そしてタイ王室を頂点とする保守的価値観を揺るがすような変化でもあったと考えられる。タクシンは2006年のクーデターによって国外追放されるが、その後の選挙によって実妹インラックが2011年首相についたことで、タクシンによる実質的な政権支配は続いている。タイ貢献党あるいはタクシン派は、農村部などの熱狂的とも言える支持によって総選挙には圧倒的な強さを誇っている。しかし昨年11月の恩赦法可決でタクシンの帰国を強引に可能にすることを政権が目指したため、今年2月におこなわれた総選挙では、反タクシン派による選挙ボイコットと妨害という異例の事態になった。タイ憲法裁判所は、この選挙を無効とする判決を下したことで、7月にはやり直し選挙を実施するとされているが実際におこなわれるかは不透明である。このような前代未聞の混乱において、従来のような国王による裁定は国王が高齢かつ病気療養中であることから難しい。また場合によっては皇太子への承継という事態も視野に入っている。

今ASEANシフトと言われる現象は、日系企業の中国からASEAN諸国への生産・販売活動の移動と捉えられている。しかしながらASEAN10カ国は個々に状況が異なっていることが特徴であり、全てのASEAN諸国に日系企業が等しく進出をし、また進出を検討しているわけではない。ASEAN各国においては、かつて多くの国で政治的な混乱とそれに伴う経済的な動揺を経験している。その中でタイは多くの点で安定しているということが、ASEAN諸国の中でも1980年代以降、日本からの直接投資がタイに集中したという理由の一つであると言われてきた。よく知られているように、現在では自動車産業を中心に巨大とも言える産業集積がタイに形成されている。しかし安定が不安に変わった時、企業がどのような投資活動をするかについては極めて不透明である。特に政治状況は移ろいやすく、また感情的にもなりやすい。今までのタイの経済的成功と日系企業はじめ外資にとって好ましいイメージを保てるかどうかは、現在の政治的な混乱をどう収拾するかにかかっているだろう。

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