人の寿命と地方創生

佐々井 司

わが国の人口減少は当面、いや少なくとも今後半世紀はほぼ間違いなく続くとみられる。それは、人口減少の最大の要因が死亡数の増加にあるからに他ならない。出生数の増加は人口減少の程度を緩和させることには繋がるが、死亡者数を上回らない限り人口総数は増えない。こんな当たり前の原則が、地方創生がらみの人口減少対策のなかでは忘れ去られているような気がする(あるいは、気づいてはいても黙っている人が多いだけなのかもしれない)。

何故人口が減り続けると断言できるかといえば、まず外国国籍の人たちの定住者(日本国籍への異動を含む)がヨーロッパやアメリカ等の先進諸国と比較して少なく、逆に日本国籍を持つ人口のうち長期に国外滞在する人口が増加していることにより、わが国の場合、国際人口移動が人口増加にほとんど寄与していないということが前提にあるが、この前提が今後も大きく変わらないと仮定すれば、団塊の世代と団塊ジュニアの世代という巨大な人口集団が今後順次亡くなることが自明だからである。一方、出生率が2.07程度の人口置換水準にまで回復すれば人口減少に歯止めがかかるのは理論上間違いではないが、現実にそういう時代が来るのか否か、現時点では誰も断定できない。

今日の地方創生の議論で抜け落ちていると感じるのは、人口減少対策と関連付けられているにもかかわらず、出生よりも確実に見通すことのできる死亡について触れられる機会がほとんど無いことである。社人研将来推計の死亡仮定では、平均寿命が今後も伸び続け、死亡のタイミングが今後も更に遅くなる、換言すれば、平均的な日本人は90歳、100歳まで死ぬことがない、としている。この仮定が間違っているとしても死亡者数自体は大して変わらず推計結果への影響はさほど目立たないが、寿命はもうこれ以上伸びない可能性もあるということを国民とともに考えるという姿勢で、そろそろ異なる仮定設定も必要ではないかと常々考えている。私たち一人一人が"死"について真摯に考える機会が増えれば、健康や幸福の意味も今とは異なってくるように思われる。

世界的にみると平和な時間を長く過ごしてきた戦後生まれの日本人の多くは、死亡というライフイベントから意識のうえでかなり遠ざかっているような気がする。戦後の日本では、乳児死亡が急速に低下し、若年者の死亡率も極めて低くなるなかで、人が死ぬのは何も高齢になってからでは無いという現実に直面する機会がずいぶんと減った。同時に、三世代同居などの居住形態が減る一方で未婚者や単独世帯の割合が増え続けるなか、人は誰もが他の生物と同様に老い、終には死に至るという不可避のライフコースを辿る、という当たり前の事実を日常生活のなかで実感する機会が、わが国ではめっきり減ってしまった。こんな今の日本でも若くして命を落とすケースは少なくない。20歳前後の若年者の死因第1位は自殺、次いで不慮の事故。近年私たちが敏感になる地震や津波・洪水・雪崩などの自然の力への曝露(一般的には自然災害と表されることが多いが)は当然子どもや若い人をも巻き込む。若者の死亡率が最も高くなるのは、世界的にみても歴史的にみても例外なく"戦争"状態にある時である。しかも、短期的かつ劇的に地域の人口構造を変えてしまう。死亡だけでなく、人口移動や出生にも多大な影響を及ぼす。

福井に来て以降、霞が関で仕事をしている時よりも国政の動向を気にすることが格段に減った。だからという訳ではないが、一国民として納得できない法案が次々と成立・実施される。4月から始める次年度でも、国政における重要案件に関する審議が大変多くなっている。今年度策定された「ふくい創生・人口減少対策」が今後現場で結実するためには、私たち一人一人が広くかつ長期的な視点で今日の人口減少社会を俯瞰し、福井において真に大切なものが何なのかを、冷静に捉え直す必要があるのかもしれない。

少し長くなったが、最後にもう一つだけお付き合いいただきたい。先般、平成27(2015)年国勢調査の速報値(要計表による人口集計値)が発表された。皆さんは今回の結果をどのようにみられたであろうか?私個人的にはこの数値よりも1か月前に同じ総務省統計局によって公表された「平成27(2015)年 住民基本台帳人口移動報告」の結果のほうに興味を持った。地方創生と騒がれているのとは裏腹に、東京及び首都圏への一極集中が加速していることが明らかになっている。人の流れを変えるのは容易ではない。福井は慌てず騒がず堅実に。

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